第8章 礼拝の指導
4 教会歴について教会歴はクリスマスと復活祭を二つの峰にして、キリストの地上のご生涯を一年の暦に振り分けたものです。初めからあったものではなく、キリスト教会の歴史の中で自然に少しずつできていきたものです。
日曜日がユダヤ教の安息日(土曜日)に代わってキリスト教の「主の日」(主の復活なさった日)になったのは使徒たちの時代からでした。「週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると」(使徒20・7)と言う表現の中にそれを読み取ることができます。また、ユダヤ教の過越祭が主の十字架と復活を記念する「復活祭」になったのも使徒時代からと考えられます。
クリスマスに関して言えば、アレクサンドリアのクレーメンス(150頃~215頃)はある人々が5月20日にキリストの誕生日を祝っていたと言っています。12月25日に祝われた最古の記録は336年の「フィロカルスの暦」という文書です。この日に祝われるようになったのは、当時の異教の「太陽の誕生祭」に対抗して決めたのではないかと言われています。
ユダヤのペンテコステは収穫感謝祭でありかつ律法がシナイ山で与えられたことの記念祭でしたが、キリスト教では聖霊が注がれ教会が始まった記念祭となりました。顕現祭はイエス・キリストによって神の本質が現わされたことを記念します。三位一体祭は聖霊降臨祭の次の日曜日で比較的新しい記念日と言われます。その他の祭日も長い歴史の中で設定されてゆきました。
受難週は古くから記念されるようになったと言われます。クリュソストモス(347頃~407)はこの週を「偉大な週」と呼び、「偉大なことが主によってなされたので、多くの人々が信仰の情熱を傾け、またある者は断食を増やし、他の者は寝ずの番の日を増やし、他の者は施しを増やす。この世の王たちは、全ての行政を休みにしてこの一週間を特別な週とする」と言っています。この一週間のことは「聖なる週」とも呼ばれます。
この週の日曜日を「しゅろの主日」と呼んでいます。民衆がしゅろの枝をもってキリストのエルサレム入りを歓迎したからです。この週の木曜日を「互いに足を洗い合いなさい」という主の命令から「洗足木曜日」と呼んでいます。金曜日は「良い金曜日」(Good Friday)と言われますが、主が人類のためにもっとも良いことをしてくださったという意味です。ただしこれは英国教会で言われている言葉です。この日は特に礼拝をしない集会がカトリック教会や英国教会にできました。プロテスタント教会ではこの金曜日に祈祷会を開くところもあります。土曜日は主が陰府にまでゆかれたことを記念して、よく断食がなされました。また、この日が洗礼を授ける中心の日となってゆきました。これらの習慣もカトリック教会の歴史の中で出てきたものです。ユダヤ教では祭日は一週間に延長されて祝われることが多かったように、ヨーロッパのキリスト教もこれらにならい受難週を作り上げていったようです。受難節はキリストの40日の荒野での試みにならって復活祭にさきだつ6週間をさして言うようになりました。
プロテスタント教会では、特に自由教会ではこのような教会歴をあまり用いない傾向にあります。しかし、クリスマスや復活祭やペンテコステなどは定着したものとして自然に記念しています。
暦の発達は聖壇(講壇)の聖餐卓や説教台や司式の台に飾る布の色に変化をもたらしました。白は真理のシンボルでクリスマスや復活祭などの祝いの日に、赤は愛のシンボルで殉教者の記念とペンテコステの炎を象徴して聖霊降臨の記念に用いられます。緑は恵みのシンボルで祝いでもなく断食でもない日の色です。紫は悔い改めのシンボルで待降節や受難節などに用いられます。黒は受難の金曜日と葬式に用いられました。今では黒を用いなくなりました。このような典礼色の布をほとんどの自由教会では使っていません。カトリック教会やギリシア正教会、ルーテル教会、聖公会、メソジスト教会また一部の長老教会でも使っている教会があります。暦のとりかたに違いがありますから、もし採用するとするなら原則を定めて運用することが大切です。鈴木崇巨、『牧師の仕事』、教文館、2002年10月10日発行、86頁ff
私たちのグループは、プロテスタントの自由教会出身の超教派の宣教師によって生まれました。私たちの教会はそのグループの中の一教会なので、教派色のない少ない教会文化を持っています。それで教会歴や典礼色にはあまり頓着しない教会運営がなされています。しかし昨今これに興味をもつ人も生まれてきて、教会は少し混乱の中にあるのかもしれません。
いちおう鈴木先生のこの本によると、教会歴や典礼色を忠実に守ろうとするカトリック教会にプロテストする形で生まれたプロテスタントでは、特に自由教会おいては頓着しないというよりも、むしろ否定的にとらえてきたところがあるのかもしれません。
典礼色ですが、カトリック教会では一応暦に従って一年をその季節によって色分けしているように言われますが、実際はもう少し複雑なようです。たとえば今年は6月5日の聖霊降臨以降「赤」ということですが、以下のカレンダー(2019年のものですが)を見ていただくと6月25日はバプテスマのヨハネの誕生日ということで「白」になっています。これは聖人信仰と深く結びついているようで、日によって複雑に変わるようですね。
中央集権的なカトリック教会では、毎年の教会歴や典礼色が一括して決められていて、それがトップダウンで各教会に通達され、それを守るということで、運用されています。ですからカトリック教会では、どの教会に行っても同じミサが行われ、聖書朗読の箇所も祈りの言葉も同じものが語られ祈られています。司祭さんの短い講話はそれぞれ違いがあるようですが。しかし聖書の箇所が同じなので、そう違ったお話しになることではないようです。いずれにせよ、教会歴や典礼色は聖書的な背景によって生まれたのではなく、教会の文化の中で生まれてきたということでしょう。
教会の中では、これを忠実に守りたいと思う人もいれば、逆にアレルギーを感じる人もいるでしょう。教会の礼拝においては本質的なことではないので、それぞれの教会でよく話し合って決めればよいのだと思います。
ちなみに、牧師のガウンですが、どのように始まったかと言うと、プロテスタントが生まれたときに、それまでのカトリック教会の司祭が礼拝において来ていた祭服を脱いだのです。しかし脱いだのはいいのですが、どんな服装で礼拝を行うのが良いか、悩むことになりました。それで結局、裁判官が身につけていたガウンを着るようになった、と言われます。ストールは、司祭の祭服にルーツを持っているので、祭服を脱ぎガウンになったときにしなくなりました。現在、多くの場合ガウンにストールをつけることになっていますが、おそらく改革者のカルヴァンが見たらびっくりすると思います(笑)。フランス料理のフルコースのメインディッシュに、糠漬けをのせて食べているようで。私はどちらも大好きですが、一緒に食べるのはちょっと、という気もします。まあ、しかたないです。