つづいて第3章の3を読みます。
第3章 ハラスメントを起こさないためにはどうしたらよいでしょうか?
3 自分を見る視点を養っていきましょう
私たちは、人のことはよく見えるのですが、自分を見ることが苦手です。イエスさまが、「あなたは・・・自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか」(マタイ7章3節)と言われたとおりです。しかし、健康的な信仰体験には、前提として、自分を客観視することによる自己洞察が欠かせません。牧師・信徒を問わず、自分はどれだけ霊的であると言っても、自分を見る視点が欠けた信仰は独りよがりになります。自分を見ることの大切さをどれだけ意識しても、それでも自分のことはなかなかわからないものです。そのときは、自分についての周囲の人にコメントしてもらいましょう。自分の身近にいて、自分が信仰的に信頼できる人にコメントを求めることが、自分について新しい気づきを得る助けになります。
(インマヌエル綜合伝道団人権委員会、『聖なる教会を目指して―ハラスメントを起こさないためにはどうしたらよいか』、いのちのことば社、2020年7月20日発行、24頁)
「自己洞察」。これはキリスト教信仰のカギです。入信の証しに私たちは、どんなことを書いたでしょうか。不思議なことが起こった、とか、祈りが聞かれた、とか、神さまが見えるようになった、ということもよいのかもしれませんが、そこに自己洞察がありましたか? 自分が罪びとの頭であることが告白されていたでしょうか?
洞察とは「よく見通すこと。見抜くこと」(広辞苑)とあります。いろんなことが洞察できても、自分を洞察することはすべての人が難しいのだと思います。自分の姿は、鏡に映さない限り見ることはできません。実際自分の顔を自分の眼球で見ることは生涯私たちは出来ないのです。ですから鏡が大切ですが、その鏡がゆがんでいると、やっぱり自己洞察が難しいことになります。
よい批判者を持つことは大切なことですね。そして続いてその批判者に良い鏡で居続けていただくためには、その批判者からのコメントを素直に聞くということが大切でしょう。
一日の終わりに、今日犯しました罪過ちを赦してください、との祈りを私たちはささげているでしょうか。