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聖なる教会を目指して 6

 つづいて第2章の5を読みます。

第2章 ハラスメントはどうして起こるのですか?

5 牧師・信徒相互の関係と牧会的指導の問題

 牧師が、信徒の奉仕について注意をするということがあった場合、指導のつもりであっても、叱られたと受けとめられる可能性もあります。信徒からすれば、良かれと思ってしたことについて注意を受ければ当惑します。場合によっては心に傷を負うでしょう。それ以降、萎縮してしまって、牧師の顔色を伺うようになるかもしれません。牧師からすれば、教会全体の方向性に合わなかったり、責任者である自分の意向も確かめずにされたために、組織として困ったということがあったり、この信徒には指導が必要だと感じることもあるかもしれません。
 このことだけでパワハラかどうかを決めることはできません。しかし、牧師も信徒から謙虚に指摘を受けるという方向性なしに、牧師が信徒のしたことについて欠けを一方的に指導するだけであれば、牧師は、教会という、一定の閉塞性をもった空間の中で強い立場を利用していると思われても仕方ありません。これは、牧師と信徒の関係はどうあるべきかという、基本的な牧会理念の問題です。
 牧会的な指導を禁じているのではありません。どうしても注意することを避けられないケースもあるでしょう。大切なことは、牧師・信徒を問わず、相手の気持ちを尊重しているか、牧師であれば、相手を主から託された羊として大切に受けとめているか、信徒であれば、牧師を主からいただいている羊飼いとして大切に受けとめているかということです。信徒同士でも同じです。教会に複数の牧師がいる場合であれば牧師同士でも同じことが言えるでしょう。つまり、ベースにある問題は、相手の気持ちを理解しているか、相手を人間として尊重しているかということに尽きるのです。

(インマヌエル綜合伝道団人権委員会、『聖なる教会を目指して―ハラスメントを起こさないためにはどうしたらよいか』、いのちのことば社、2020年7月20日発行、18頁f)

 教会は罪人の集まりですから、当然「指導されなければならない」お互いなのです。迷いやすく谷底に向かう羊には、谷底に落ちる前に導かれ指導されなければならないでしょう。しかし人間は基本的に人の言葉や説得によっては生き方を変えないものです。その人が本当にイエスさまと出会ってイエスさまに導いていただかなければ変わることがないのです。ですから牧師の役割は、その人のために祈ること、また講壇で聖書の愛の言葉を伝えることかなと思っています。牧師も信徒の一人なのですから、お互い兄弟姉妹として尊重し合えればいいのではないかと思います。


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