つづいて第2章の2を読んでみましょう。
第2章 ハラスメントはどうして起こるのですか?
2 牧会における人間的な弱さと誘惑
ハラスメントの加害者になる原因は自己愛的性格が強いという人格的な偏りばかりでなく、人間の弱さと誘惑が原因になることがあります。誘惑するものは獅子のように獲物を狙っています。牧師が陥りやすい誘惑には3つの種類があると言われます。金銭と性と権威です。主は弟子たちに「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい」(マタイ26章41節)と語られ、パウロは、自分は大丈夫だと思っている人に「立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい」(Ⅰコリント10章12節)と語っています。このように、ハラスメントの背景には人間的な弱さもあるのです。ハラスメントが起きてしまった場合には、「それは人間的な弱さだった」という言い訳が通用しないことを肝に銘じておかなければなりません。
(インマヌエル綜合伝道団人権委員会、『聖なる教会を目指して―ハラスメントを起こさないためにはどうしたらよいか』、いのちのことば社、2020年7月20日発行、16頁f)
李下に冠を正さず、のことわざのように、自らが誘惑にさらされる道を歩まない、ということが大切なことです。ですから神学校では、たとえば自動車に信徒を乗せるときに助手席には座らせない、という配慮が必要と教えられます。あるいは個室に(牧師室など)に異性と一対一には絶対にならない、ましてや二人でお茶を、お食事をなどということは、一般の社会ではどうか分かりませんが、教会の交わりの中では絶対にあってはならないことです。サポートは給与委員会の管轄の中での決まった額の支給が大切なのです。主幹牧師とか主任牧師とかという肩書は、教会の秩序の上では大切なことかもしれませんが、できるだけ名刺にはただ「牧師」とだけ書くことにしています。(団体の会計処理で金融機関に提出するために財務委員長とは書いています(笑))。はやく肩書の一切ない名刺を持ちたいものです、というか名刺はいらないかな。
「キリストには代えられません」(新聖歌428)では、「世の宝も富も」「有名な人になることも」「如何に美しいものも」キリストには代えられません、と歌います。これが大切なのですね。