今年(2022年)の聖霊降臨の主日、いわゆるペンテコステは、6月5日となります。キリスト教会では、三位一体の神さまを信じています。父なる神さま、子なる神さま(イエス・キリスト)、聖霊なる神さまの三つにして一つの神さまを信じています。三つの神さまを信じている多神教ではなく、かといって単純な一神教でもありません。ややこしいことです。聖書に、三位一体という言葉が記されていませんので、この三位一体という教理を受け入れられないということも歴史的には起こってきましたが、聖書を読めば読むほど、三位一体でなければ、聖書の神さまを信じたことにならないことが分かって来ます。神さまは、ご自身を三位一体ということで私たちに現してくださったということです。

 この三位一体の三位のうちの第三位格が聖霊です。聖霊さま、とか、御霊、助け主、慰め主、神の霊、さらには、風、息吹、息などいろいろと聖書には表現されています。
 聖霊さまは、天地万物の創造において、父なる神さまの御業に参与されました。また神の国イスラエルをことあるごとに助けて来られました。また今日、私たちの救いにおいて力強く働いておられます。

 「聖霊の働きは、人間をキリストへと結びつける働きの中でその真理性を実証する」

(芳賀力、『神学の小径2 神への問い』より)。

 私が救われた、イエスさまにお出会いした、というのは、この聖霊さまのお働きによって実現した、ということです。

 さらに聖霊、すなわち「聖(きよ)い霊」というぐらいですから、このお方の働きによって私たちは聖化、聖なる者へと造り変えられます。

 「聖霊が私たち罪深い人間を、罪から贖い主であるキリストに結びつけてくださることによって、はじめて聖化が起こり、御子の形にあずかって、神の子供たちとされる光栄を得る。聖霊はまさに私たちを『神の子とする霊』(ローマ8・15)である。聖霊が私たちの心の奥深くまで働きかけてくださらなければ、そもそも私たちの固い石の心がキリストを受け入れるまでになるだろうか。しかし聖霊が臨んで私たちの暗い心を照らし、その冷たい心を神の愛で満たす時、自分では起こすことのできない聖化が恵みの奇跡として私たちの身に起こる」

(芳賀力、『神学の小径2 神への問い』より)

 さらにこの聖化は、個人的にだけでなく、共同体全体において前進します。

 「個々の人間の聖化は、同時にキリストに属する民の聖化でもある。聖化とは単に信仰者個人の道徳的な努力目標ではない。聖化とは、主の御名によって呼び集められ、御言葉と主の食卓のまわりに座る民が、聖書的ナラティブによって大いなる物語を生きる使徒的共同体となっていく過程でもある」

 「教会を創出し形成するのは聖霊である。教会は何度も歴史の中で瀕死の重傷を負う。しかし死んだも同然の罪人の群れが何度も息を吹き返す・・・まさに聖霊が、神の国を待ち望む教会を歴史の中に興し、枯れた骨から復活の共同体を創造し続ける。それ故、この教会論の文脈においても、古代教会の祈りが捧げられねばならない。来たれ、創造主なる聖霊よと。」

(芳賀力、『神学の小径2 神への問い』より)。

 つまり教会を生み出し、教会を聖化するのも聖霊さまのお働きである、ということです。

 教会は聖いところです。その聖さを保っていてくださるのは聖霊なる神さまなのですね。

 私が初めて教会というところに行ったのは19歳の時でした。その教会は通っていた大学の近くにあって、平屋の借家を集会所としている教会でした。6畳の部屋が二つあり、その横に台所、廊下を挟んで和式トイレと押入、といった感じでした。その6畳の部屋と廊下との壁をはずして集会所としていたので、今から考えると耐震基準にかなり問題がある建物だったのだと思います。イギリス人宣教師夫妻が、小学生の3人のお嬢さんをホームスクールで育てながら牧会伝道をしておられました。
 日曜日は朝9時から教会学校。後日その教会学校のスタッフに加えていただき私も9時前には教会に行くことになりました。『子ども賛美歌」という何ともプリミティブな聖歌集によって賛美の時がもたれます。紙芝居やペープサートなどが用いられることもありましたが、いたってシンプルな教会学校でした。
 そして10時30分から礼拝と続きます。10名ほどの会衆だったと思いますが、皆微妙に遅れてきますので、その間、宣教師は窓を見ながら来る人を待っておられました。礼拝では宣教師は熱心に聖書の言葉を語ってくださいます。奥さまは足踏みオルガンで奏楽をしてくださいます。説教の内容はあまり覚えていないのですが、その光景は今でもありありと思い浮かびます。またときおり、コンテンポラリーなワーシップソングも歌われました。リクエストもあったりします。この時は、オートハープみたいな楽器を、宣教師の奥さまが弾いてくださり皆で歌っていました。不思議な楽器でした。
 会堂といっても上記のような状況なので、教会学校が終わると、近所に住む子どもたちは、それぞれ帰っていきます。しかし宣教師の3人の子どもたちは、そのまま隣りのホームスクールのための小さな小屋で過ごしていました。礼拝が終わると、毎回ポトラック(持ち寄り昼食会)が行われました。私はいつも「小僧寿し」でパックを一つ買って参加していました。食事内容は質素だったかもしれませんが、子どもたちも交えての豊かな交わりの時だったと思います。
 私は、その時の教会が、そしてその時の教会の在り方が、今の自分の信仰の基礎になっているなと、いつも思い起こしては感謝しています。まるで大草原の小さな家に出てくる雰囲気でした。そこにご聖霊さまが豊かにお働きくださっていたのだと感謝しています。いまその宣教師ご夫妻は本国英国でリタイヤ後の生活をしておられます。お二人とも身体を弱くされていて、ときおり祈りの課題が送られてきますが、私も生きているうちにもう一度お会いしたいなと思ったりしています。

 今日、礼拝堂にファンヒーターの片づけと扇風機を出す作業をしていると、会堂の聖餐卓に、赤いバナーがかけられていました。すでにペンテコステ礼拝の準備をしてくださったのですね。感謝です。


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