「福音を伝える私たちの役割は、セールスマンではなく、ハイキングのガイドのようであるべきです。神に従うように人を説得することではありません。彼らの人生ですでに働いておられる神を示してあげることが、私たちの仕事です。」
ケン・シゲマツ、『忙しい人を支える賢者の生活リズム』、いのちのことば社、2015年、260頁。
自分と他者との境界線が分からなくなると、人生を生きているのは、その人自身であって、私ではないということが分からなくなります。そうなると、ハイキングのガイドに徹することが難しくなってしまいます。セールスマンならまだいいのかもしれませんが、その人の人生を乗っ取ってしまいかねない、ということも起こるように思えます。極端な場合マインドコントロールさえおこります。
牧師のところにはいろいろなかたがやって来て下さいます。とてもうれしいことです。多くの場合、大なり小なりの問題や悩みを持ってやって来られます。牧師は、聖句をもって指導や説得するするのではなく、その悩みに耳を傾け、ともに祈ります。来会される方の問題は、かかえておられる問題や悩みもさることながら、それらを前にして祈れない、ということが問題なのです。だからともに祈ってほしい、ということがそこにある言葉にならない叫びではないでしょうか。ですから牧師は、下手な講釈やお説教ではなく、では一緒にイエスさまに向かいましょう、祈りましょう、というのです。すでにその人の中でイエスさまは働いておられます。こうして教会を訪ねておられるということ自体に、神さまの不思議な御手が働いているのですから。私が何かをするよりも、すでに働いておられるイエスさまがなさることの方がよほど確かなことです。牧師ができることは、できるだけイエスさまの邪魔をしないようにすることです。