本日(2022年1月2日)の説教は、ルカの福音書10章25節から37節でした。このイエスさまと「ある律法の専門家」との対話を、ルカがこのような形で記すことできたのには、どのような背景があったのだろうか、と想像しています。

ルカの信仰者として生きた時期を考えるとイエスさまから直接聞くことができたわけではないでしょう。イエスさまから聞いた弟子たちから伝えられたのかもしれません。弟子たちもこの対話をそばで聞いていたのかもしれませんし、あるいはイエスさまから、こんなことがあったのだよ、と聞いたのかもしれません。

しかし、それよりも、この「ある律法の専門家」が、こののちキリスト者となり、教会生活を送ったと考えてもよいのではないでしょうか。

そんな想像がゆるされるとすれば、この「ある律法の専門家」はことあるごとにこのイエスさまとの対話を証ししたのだと思います。

「最初イエスさまを試そうと押し掛けたんだ、そうしてお話ししているうちに心中にぽっかりと開いていた穴があることに気づいたのさ、そうしたら、イエスさまが素敵なたとえ話をしてくださって、すっかり人生の方向が変わった、すぐにキリスト者になれたわけではないけれども、その時から始まった求道生活は、今こうしてキリスト者として皆さんとともに礼拝を生活を送る者となりました。ハレルヤ!」

といった感じです。

聖書は読み飽きることも読み尽くすこともありませんね。


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