信徒の方もお読みになっていてくださるので、芳賀力先生の文章を引用して、あらためて聖書の権威について整理しておきたいと思います。

【命題32】忘れやすい人間にとって聖書は必要であるが、その人間を救う神のご計画にとって、聖書は必然であった。贖い主について知るためには、聖書の証言によるほかはない。

【命題33】聖書の権威は、その原著者が聖霊であるということの中にある。聖霊の導きのもとに書かれたということは、聖霊が機械的・逐語的に執筆行為に介入したのではなく、著者たちを全人格的な証言行為へと召し出したということである。

【命題34】啓示を証言する人間の言葉は、自分自身を超えて、到来する神を指し示しており、神はその証言の言葉を通して私たちへと到来し、人間のために神の言葉となる。聖書の神性のみを見る仮現的理解も、聖書の人性のみを見るエビオン主義的理解も誤りである。

【命題35】聖書の権威は、救いへと到来した方の贖罪の権威に懸かっている。聖書の焦点もまたそこにある。

【命題36】聖書は、それ自身において信じられるべきもので、それ以外のものによって権威を保証される必要はない。聖書に先立つ、または聖書の上に立つ教会の権威はない。初めに、御言葉から生まれた物語る教会があったのである。

【命題37】教会の上(外)に御言葉の権威があるからこそ、教会は御言葉によってたえず改革される宗教改革の可能性を持つ。

【命題38】聖書は、神について、また救いについて、必要なことの一切を含んでおり、それに付け加えるべきものは何一つない。この改革者たちの証しに同意するからこそ、聖書は常に新しく解釈されねばならないのである。

芳賀力、『神学の小径Ⅰ 啓示への問い』、キリスト新聞社、2008年12月25日発行、178頁f

こんな感じでいかがでしょうか。


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