悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ

「悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。」

(第一ペトロ3章11節)

今朝の朝ドラ「エール」の中で、聖書の言葉が登場しました。ペトロの手紙第一からの言葉でした。

お国のために戦うということは、立派なことではないか、との主人公の言葉に、戦わなければよい、戦いがなければよい、いのちを無駄にしないで済む、と相対する登場人物が語ります。

隣人のために労する、ときに命をも賭して労することは善であるとすることについて、同調圧力の強く働く日本の社会にあっては、そのことが様々な状況の中で、利用されていきます。

そもそも「戦争」自体を悪とする、さらに人を殺すことを悪とする、理屈抜きでそれらを悪とすることが大切ではないかと思います。

「殺してはならない。」(出エジプト記20章13節)

この十戒の中の戒めは、その理由を語りません。殺してはならない、という戒めに理由をつけないのです。つまりどんなに立派な理由があっても殺すということはいけないことだ、と聖書は語るのです。

おおよそ大義、正義を主張しなかった戦争はありません。第二次世界大戦に突入するには日本にも様々な事情や理由があったのだと思います。また戦う相手も決して善ではなく、むしろ戦いをもって懲らしめなければならいと思うのにも無理のない状況があったのかもしれません。ナチスドイツによるユダヤ人迫害も、ベトナム戦争における殺戮も、カンボジアのポルポト政権による自国民の大量殺戮も、そこには殺さなければならない様々な事情や理由があったのだかもしれません。それらを平和な時代に生きる私たちがさばくことはどうなのだろうかとも思います。

ですから、どんなに理由があっても戦争をする、人を殺すということを、悪としない限り、上記のような「利用」は今後も続いていくのではないかと思います。できれば大切な自分の人生が、権力者によって利用されることのないような社会が大切ではないかな、と思いました。

時代が移り変わっても、変わることのない聖書の言葉、真理のお言葉に生きる安心感を確かにしたいと思いました。


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