「もしも、このバス停に降り立たなかったら。マリアに出会わなかったら。きっと、もっと別の人生を自分は歩んでいたに違いない。
いま、自分が呼吸し、生きているのが、その『別の人生』じゃなくてよかった。この人生でよかった。」
原田マハ、『マグダラ屋のマリア』、幻冬舎、2011年7月25日発行、315頁。
生きるということは、自分の人生を生きるということです。誰かの期待に副う人生ではなく、自分自身の人生を生きるということです。そのためには、さまざまな出会いが大切です。自分の人生だけを見つめていても見えないのです。出会いはさまざまなところにあります。よい出会いもあれば、そうでもない出会いもあります。ただその出会いをよいものにするかどうかも、自分のあり方に関わるところもあります。もちろん自分ではどうすることもできない出会いもあります。背後に愛なる神さまがおられることを信じるかどうかで、ずいぶん変わるような気がります。
「ずっと遠くの前方に町が見える。建物が白い集積になって輝くのを、紫紋は目を細めてみつめた。どんなにまぶしくても、ただ前だけをみつめていたかった。」
(前掲書、327頁)
この本には聖書の登場人物やキリスト教に関わる言葉がたくさん登場します。
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及川紫紋=シモン
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マグダラ屋のマリア(有馬りあ)=マグダラのマリア(マリア・マグダレーナ)
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丸弧=マルコ
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与羽=ヨハネ
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杏奈=アンナ
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花南=カナン
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桐江家=キリエ
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名戯寺=ナザレ
ほかにもあるでしょうか。この当て字がなかなか妙です。
聖書の大きなテーマの一つは「ゆるし」だと思いますが、この小説もゆるしについて深く考えさせていただけることでした。自分自身の自制を生きるということと、ゆるしとは深くかかわっているのだと思いました。