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正義の戦争があるという考え方はとても危険です

20世紀の100年間に国家が殺した人の数は、2億ほどだそうです。多すぎて想像できない数ですが、その2億のうちの圧倒的過半数は、兵隊ではなく非戦闘員、つまり女、子ども、老人です。兵隊は身を守る訓練を受けているので殺しにくいし、鉄砲を持っているかもしれないので危険です。それに比べると一般市民は殺しやすい。アフガニスタン、イラク、湾岸戦争、どの戦争もいちばん多く殺されたのは一般市民です。日本の第二次世界大戦もそうです。

 もうひとつ驚くべき統計は、2億人のうちの圧倒的な過半数は、それぞれの国の自国民を殺していることです。政府は自国の国民を殺すことが多いのです。20世紀にはナチスドイツや、ソ連があって統計が歪められているのですが、現在の世界でも戦争のほとんどが政府対国民、内乱です。国民を抑圧する以外の目的がない軍隊もある。

 正義を求める戦争という20世紀の常識は、こういう戦争を生んだのです。すべての戦争の両側が防衛戦争をやっていると言い、決して侵略をしているとは言いません。自衛戦しか許さないというと、みんながこれは自衛戦だといい、結果としてどの戦争も許されることになってしまう。

 だから、正義の戦争があるという考え方はとても危険です。

ダグラス・ラミス、「『つくる』喜びをとりもどす 豊かさという神話を超えて」、

辻信一編、『GNH もうひとつの(豊かさ)へ、10人の提案』、大月書店、2008年7月18日発行、277頁f

だいたい人間は自分が正しいと確信しているから戦いを起こすのでしょう。誰かに腹を立てているときは、自分の中に正しさをもっています。それに固執しています。だから腹が立つのです。

戦争では人を殺さなければならないのです。そうでなければ殺されてしまうのです。人を殺すためには、何らかの正当性を自分のうちに見出しておかなければできないでしょう。義憤にかられなければできないでしょう。

ほんとうに戦いをやめるためには、正義の戦争と主張されるものに対しても「ノー」ということになるようです。


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