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間違ってもいいから幸福なほうがいい

 高学歴の女性の中に、ときどきこういう「正しい」人っているよなあ、というのが私のもうひとつの感想である。PTAの集まりでいつも正しいことを言うタイプ。辟易する気持ちとともに、痛々しいと思う。だってそれは、傷ついていたり孤独だったりするからなのである。男ならひねくれたり権力志向になったりするところを、女は「正しさ」に頼ってしまうのだ。そして「子どものため」という言葉ほど、世間に簡単に女の正義を納得させるものはないから、どうしてもこういう場合は「愛する子どもの幸せのため」のオンパレードになりがちである。

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 いつも正しくて不幸だと「愛されない理由」になってしまう。間違ってもいいから幸福なほうがいいですよ。

小西聖子、『ココロ医者、ホンを診る ―本のカルテ10年分から―』、「本は、手紙じゃ、ないんだよね 二谷友里恵著『楯』」、武蔵野大学出版会、2009年10月10日発行、36頁ff

愛されるために他者に媚をふれと言っているのではないと思います。そういう余裕のあることを言っているほど人生の時間は長くありません。少しでも幸せに生きるほうがいいのです。そのためには愛される人になることは大切なことです。愛される人になるためには、また愛する人になることも大切なことです。その場合の愛する対象は、いきなり他者ということではなく、まず自分自身への愛ということです。自分を健やかにそして真実に愛することのできる人は、他者を健やかに愛することができ、そうして愛される人となるのです。そのためには、まず神さまの愛をいただかなければなりません。


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