慰安婦問題と歴史問題を考えるのは、戦争と構造的支配がいまなお続いていて、貧困で弱い人々が動員される現実がいまだ続いているからである。国家が国民を、男性が女性を、大人が青少年を、戦争に利用するのはやめるべきだ。民族の違いや貧困という理由だけで他者を支配し、平和な日常を奪ってはならないという新たな価値観を、慰安婦問題の解決に盛り込みたい。
不和は日韓の保守を右傾化させ、冷戦的思考は基地を存続させる。そのような現在の状態を抜け出さない限り、日本の軍国主義を批判してきた人たちが、結果的にアジアを軍事大国にするだけだ。日韓の基地問題を解決するためにも、日韓の連携は必要だ。真の〈アジアの連帯〉は、日本の帝国主義に先んじて始まった西洋の帝国主義と、彼らが残している冷戦的思考を乗り越えることで可能になる。そのときアジアは初めて、西洋を追いかけてきた〈近代〉を乗り越えることにもなるだろう。
敗戦と解放以降も本質的には解除されなかった数十年にわたる曖昧な関係と敵対感情を、またもや次世代に引き継がせるのは、いまを生きる大人たちの無責任さを語るものでしかない。いまこそ、日韓が長い間かかえてきたそれぞれのトラウマを治療することを始めるべきだ。
帝国主義と国家主義が作った境界と敵対関係を超えての慰安婦問題の解決は、「基地」のない世界に向けての第一歩の試みにもなる。それは、人々が貧しさやその他の理由で慣れ親しんだ空間故郷を離れないで済む、安心していられる居場所を作ることでもある。
慰安婦問題の否定者たちは、植民地支配に関して「朝鮮の責任」を強調することが多い。それは、朝鮮がこうむった苦痛に対して、弱かったあなたが悪い、と言うようなものだ。しかし、自己責任は自己責任の主体が考えるべきであろう。元慰安婦たちにいま必要なのは、「あなたが悪いのではない」という言葉である。そのような「慰安」の言葉を、「慰安」を与え続けさせられてきた彼女たちにいま、贈りたい。
(朴裕河、『帝国の慰安婦』、朝日新聞社出版、2014年、313-314頁)
朝日新聞2019年7月3日掲載の池澤夏樹「終わりと始まり」にこの本の紹介がありましたので、図書館で借りて読んでみました。「両国と諸勢力を公平に扱って、感情的になりがちな議論の温度を下げ、明晰な構図を与えてくれる」との言葉通り、大変よくわかる内容で、また美しい言葉で一気に読ませてくれる本でした。
結局、問題は「トラウマ」だといいます。それをいかに癒していくか、治療していくか。感情的で無責任な言葉が飛び交う世界にあって、静かな心で神さまのみこころを求めつつ、相手を思いやる人になりたいと思います。あたたかい言葉、優しい言葉を語る者でありたい、そのために言葉を磨く者でありたいと思いました。