愛しているとき、神が私の心のなかに、と言わないように。言うならばむしろ、私が神の心のなかに、と。

カリール・ジブラン、『預言者』、佐久間彪訳、P21

神さまをほんとうに知っている人は、神さまが愛であること、愛そのものであることを知っています。そして罪びとでしかない私が、その神さまに愛されていることを知っています。

神さまに愛されていることを知っている者は、愛するものとなります。神さまを愛する者となります。また共に生かされている隣人を愛する者となります。神さまの愛によって愛する者となります。

そのとき、愛している者は、そのこころの中に神さまがいてくださるのだと思います。しかしほんとうに愛している者は、自分自身が神さまの中にあることを思います。神さまが私のようなもののこころの中におさまってしまわれるような小さな方ではないことを知らされるからです。自分自身のこころの中におさめてしまっている神さまの愛で愛しているならば、その愛は完全ではありません。自分自身は無限に大きい神さまの愛のほんのひとかけらしか知らないことをわきまえていることが大切なことなのだと思います。つねに開かれたこころをもっていることが大切なのだと思います。


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