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全能の神であるあなたのもとに来ることができるのです

われらはこの世界だけを指し示されているわけではありません。全能の神であるあなたのもとに来ることができるのです。あなたはわれらの父なのです。何か起ころうと、最後にはわれらはあなたの祝福された子どもなのです。

C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、276f頁

〔終わりの日に/主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち/どの峰よりも高くそびえる。もろもろの民は大河のようにそこに向かい/多くの国々が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから/御言葉はエルサレムから出る。〕(ミカ4・1,2)

2018年12月7日(金)

「何か起ころうと」は「何が起ころうと」のミスプリントではないか、と思いましたが、これでいいのかもしれません。
私たちは、神が父となっていてくださいます。神を父と呼ぶことがゆるされています。この世の罪の中で、苦痛と悲嘆、不幸、不安に歩むことがあります。しかし必ず全能の神であるお方のもとに来ることができるのです。
ひとたび「父なる神さま」と祈るならば、共にいてくださる神さまに出会うことができ、自分を、自分の人生を支えていてくださるお方の愛に出会うことができるのです。
そうして、私たちは自分の人生を取り戻すことができます。自分自身を取り戻すことができます。


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