主なる神よ、われらの心はあなたの約束に対する賛美と感謝に満ちています。この約束によって、あなたはいかなる日にも慰めと助けを与えてくださり、いかなる困窮にあっても耐え忍ぶことができるようにしてくださるのです。われらの時代に生きるわれらをおぼえてください。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、272f頁
〔今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう。どうか主よ、わたしたちに救いを。どうか主よ、わたしたちに栄えを。祝福あれ、主の御名によって来る人に。わたしたちは主の家からあなたたちを祝福する。〕(詩編118・24-26)
2018年12月2日(日)
「われらの時代に生きるわれら」。われらの時代以外に生きることができるわけではありません。しかしわれらの時代以外に生きようとして、われらの時代に生きようとしないことがあるのかもしれません。
いまを生きようとしない人生に祝福があるはずがありません。「今日こそ主のみわざの日」なのです。昨日でも、明日でもなく、今日こそ主がみわざをなしてくださる日なのです。今日を喜びと感謝をもって、賛美をもって生きたいと思います。
「ここで映画の最後で老修道士が語った禅問答のような次の言葉がよみがえりました。『神は過去をお与えにならず、現在のみをお与えになる。神はわれわれの幸福のみを願われるので、身に起こる災いを憂慮する必要などない』。明日への不安や、過去への執着を捨てて、いまを生きぬくという意味でしょうか。より快適な生活をするために情報を集め続け、一分でも早く目的地に着くためにナビ検索をしたり、個人のプロフィールをサイトで調べる私たちの日常が、むしろ貧しいものに感じられます。」(杉崎泰一郎、『沈黙すればするほど人は豊かになる』、幻冬舎、2016年、138頁)