われらは新鮮によろこびをもって信じ、悲しみにあっても、あなたがわれらに与えてくださる善きものを仰ぎのぞむことがゆるされるのです。それゆえにわれらはあなたに感謝し、その感謝の中にとどまり、また祈り願います。もろもろの民の上に力ある主となってください。われらの祖国をお守りください。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、263頁
〔わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――〕(ヨハネ10・11,12)
2018年11月23日(金)
一つの檻に、鶏と羊とライオンと狼を一緒に入れて、みんな仲良くやってくださいと言いおいて扉を閉め、どこかへいってしまうとすれば、翌日には鶏と羊の姿はどこにもなく傷ついた狼とライオンがいるだけとなってしまうでしょう。さまざまな考え方の違いのあるものが一つの国に生きようとするならば、ルールが必要であり、そのルールを守るための力が必要です。ルールや力は必要がないというのは、単なる無責任です。
おおよそ人が共に生きるところにはルールと力が必要なのでしょう。
しかし人間はどこまでも罪人であり、一様に畏れる者を持っていなければルールや力も成り立ちません。天と地を造られた神さまを信じること、畏れること。そのような為政者や国民による統治が必要なのだと思います。
教会は沢山の過ちを犯してきました。しかしその分学習も沢山積み重ねてきているといえます。教会は祖国のために祈ります。為政者のために祈ります。