主よ、われらの神よ、われらはあなたの約束によってあなたと結びつくのです。われらに多くのものが隠されている時にも、ひとつのことはわれらに与えられています。それはあなたがみ声をわれらの間に大きくひびかせてくださるということです。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、254f頁
〔盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。〕(1テサロニケ5・2~4)
2018年11月12日(月)
神さまの一方的なお約束によって私たちは神さまと結びつけていただきました。ですからこの結びつきは私たちの何かによって変化するものではありません。私たちがどのようであろうとも、このお約束は変わることがないのです。
しかしそれは私たちがどうであってもよいということではありません。私たちは神さまのまえにこのような確かな約束をいただいているのですから、神さまに喜ばれる道を選択します。たとえその選択に失敗しても神さまのお約束は変わらないからこそ、私たちは安心して神さまのよろこばれる道を選択します。そのような選択に生きることこそ神さまへの愛に生きることです。神さまを愛そうとしない者には、この逆説はちょっとわかりにくいかもしれません。