われらは、あなたが人間をゆるしてくださるということを、知るのをゆるされています。いかなる罪もあなたがこれをおゆるしになれないほど重くも、大きくもないのです。・・・キリストの血によって生長し、この世のいっさいの怒り、荒波、きびしさに対しても強い群れとしてください。そしてわれらがゆるすことができるようにしてください。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、230f頁
〔わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。〕(マタイ6・12)
2018年10月12日(金)
聖書の語るメッセージのひとつの大切なポイントは、ゆるし、です。
主の祈りの中のこの祈りは、私が誰かをゆるす、その度合いに応じて、神さまのゆるしをいただくことができる、と理解してしまいそうです。しかし聖書全体は、神さまからの一方的なゆるし、を語っていますので、整合性がなくなってしまいます。
主の祈りは、イエスさまが弟子たちに、このように祈りなさい、と教えてくださった祈りです。キリストの弟子となるならば、このような祈りに生きることが出来る、と導いてくださったということでしょう。
そうすると、イエスさまを信じて新しく生きるようになった者は、ゆるしに生きることが出来るということです。
ゆるしに生きることが出来るならば、本当に平安な人生を送ることが出来ます。