あなたはイエスによって力強いとりでを与えてくださいました。イエスは唯一の主であられ、われらは、荒れ狂い、いとわしいものとなり、荒廃し、残酷なすべての世にこのキリストを対立させることができるのです。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、227頁
〔それで、愛する人たち、あなたがたはこのことをあらかじめ知っているのですから、不道徳な者たちに唆されて、堅固な足場を失わないように注意しなさい。わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。このイエス・キリストに、今も、また永遠に栄光がありますように、アーメン。〕(2ペトロ3・17,18)
2018年10月8日(月)
救い主イエス・キリストの恵みと知識によって、信仰は成長します。
不道徳な者にそそのかされて、堅固な足場を失うことにならないように、注意しなければなりません。
不道徳な者にそそのかされないために、イエスさまの恵みと知識によって、信仰を成長させなければなりません。イエスさまの恵みと知識によって信仰が成長すると、不道徳な者にそそのかされて堅固な足場を失うことから守られます。
「堅固な足場」は、神さまが「イエスさまご自身によって力強いとりで」となって下さったということだと思います。ですから、堅固な足場とはイエスさまへの信仰がもたらすゆるぎないものです。
新改訳では「自分自身の堅実さ」と訳されていますが、これは何か自分自身のなしとげる力を想像させてしまいます。そうなると聖書の語る福音を誤解してしまうような気になるのですが、いかがでしょうか。