あなたはみ光を全世界の中に照らし、あなたがすべての人間の父であり、近い者も遠い者も、悪しき者も善き者も、時の流れとともにすべての人間をみもとに導いてくださるのだということを、明らかにしようとしてくださいます。・・・われらに聖霊を与えてください。聖霊を欠いてはわれらは何もできません。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、224f頁
〔こう言われる。わたしはあなたを僕として/ヤコブの諸部族を立ち上がらせ/イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。だがそれにもまして/わたしはあなたを国々の光とし/わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。〕(イザヤ49・6)
2018年10月5日(金)
主にある者は、神さまの救いを地の果てまでもたらす者です。神さまがそうしてくださるのです。
地の果てとはいったいどういう意味でしょうか。
文字通り、世界の地理的な「果て」でしょうか。「果て」という言い方は私からの主観であり相対的なものであって、「果て」におられる方からすれば失礼なことなのですが、「果て」という言葉をもってこの地のすべてということが言いたいのだと思います。この地のすべてということは、私が主観的に、こんなところには福音は届かないと思っているところ、ということではないでしょうか。そういうところにも神さまは救いをもたらされるのです。そのためにキリスト者を用いられるのです。
地の果てが、こんなところには福音は届かないであろうと、考えてしまっているところであるとすれば、単純に地理的なことをいっているわけではないのかもしれません。地理的にはむしろ近くにも「こんなところには福音は届かないであろう」と思っているところはあります。
どんなところにも神さまの救いは届いていくということを信じなければなりません。またそのようにしてくださるのは、私たちの力ではなく、ご聖霊さまのお力によるのだといことを信じなければなりません。