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内的な人間の本質のうちに静止することなく

あなたがすでにわれらの生のうちに入れてくださったすべての善きことを感謝します。われらに、すべての人間に、聖霊によっていよいよなそうとしていてくださるあなたのいつくしみにより、われらがなおのぞむことをゆるされているいっさいのことを感謝します。そしてわれらは内的な人間の本質のうちに静止することなく、高い目あてをのぞんで前進することをゆるされているのです。

C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、218頁

〔「恵み深い主に感謝せよ/慈しみはとこしえに」と/主に贖われた人々は唱えよ。主は苦しめる者の手から彼らを贖い〕(詩編107・1,2)

2018年9月28日(金)

主にあがなわれるということは、主のものとされるということです。あがなわれないままであるということは、いぜん主のものとされていないといことですが、それは結局のところ自分勝手な人生のままであるということです。

自分勝手な人生というと、自分の自由の中にある人生のように思いますが、実際は、自分が全き善を持たず、また全能でもないので、結局不自由な中にある人生なのです。

全き善であり、全能である、そして義であり愛である神さまのものとされることによって、人生は自由の中に解き放たれるのです。


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