われらが勝利できるように、われらのこの世における人生が、多くの欠陥、多くの不都合や罪のもかかわらず、よろこびへと至ることができるようにしてください。あなたの恵みはなお大きく、いっさいのわれらの過失よりもはるかに大きいのです。そしてそのことによってわれらはきょうも、またこののちも常に、よき良心を持ちたいと思います。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、206f頁
〔事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。〕(エフェソ2・8,9)
2018年9月13日(木)
神さまの恵みと、私たちの過失とを比べたならば、神さまの恵みの方が圧倒的に大きいのです。どのような過失があったっとしても、神さまの恵みはそれよりも大きく、神さまの御前にはゆるしがあるのです。
このゆるしの恵みがあるので、そのことによって、私たちはいまも、これからも「よき良心」を持ちたいとの願いに生きます。
よき良心をもちたちとの願いがないとすれば、神さまの恵みが私の過失よりも大きいということが分かっていないのでしょう。