われらを聖霊のもとにあゆませ、み光の中に立たせ、われらの心にふれてくださり、われらがそのために召されている高きものを理解することができますように。われらが苦しむ重い困難のなかにおいてさえも、不安を抱くことがないように、くりかえしわれらを助けて自由にしてください。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、187f頁
〔わたし、わたしが主である。わたしのほかに救い主はない。〕(イザヤ43・11)
2018年8月19日(日)
聖霊さまのもとに歩むということは、神さまの光の中に立たせていただくということであり、神さまが私たちの心に触れてくださるということであり、私たちが神さまによって召されている高きもの、その高きものを理解できるようにしてくださるということです。
そのような信仰の歩みは、私がどのような状況の中にあっても、不安をいただくことがない、つまり平安の中を歩むことが出来るということです。どんな時も平安に歩むことが出来るということは、全き自由の中に歩むということです。神さまに助けれられて生きるということは、このように全き自由の中に生きるということです。