,

霧の中に忽然と現われたロマネスクの白いファサード

いや、と私は考えた。これでいいのだ。私にとってのルッカの大聖堂は、やはりあの朝、アントニオとバスの窓から見た、霧の中にまぼろしのように現われたロマネスクのファサードでいい。あれが、アントニオと私のルッカだ、と。

「ルッカだ、大聖堂だよ」という、かすれ声でささやかれた言葉と、霧の中に忽然と現われたロマネスクの白いファサード、そして柩のうえにおかれたエニシダの花束を思い出に残して、アントニオは、物語がおわると消えてしまう映画の人物のように、遠い国の遠い時間の人になってしまった。

須賀敦子、『ミラノ霧の風景』、白水社、1990年、213頁

ファサードとはフランス語で「建物の正面」のことだそうです。霧の中にぼんやりと浮かび上がる白い教会堂の正面と、死んだ友人と、エニシダの花束。

記憶は不思議なものです。事実と記憶の語る真実との違いに、人間はどちらに寄りかかって生きるのか。どちらに生きるのが人間的なのか、幸福なのか。


投稿日

カテゴリー:

,

投稿者:

タグ: