ジョン・オカダ、『ノー・ノー・ボーイ』

どうやったら、母であり、同時にあかの他人で、息子にはその人が誰で何なのかわからないような女性に話ができるんだろう。教えてくれ、かあさん、あなたは誰なのか、日本人であるとはどういうことなのか、あなたにも少女だった頃があったにちがいない。・・・急いで、さあ、急ぐんだ、かあさん、あなたが好きだった学校の先生はなんていう名だったの?

ジョン・オカダ、『ノー、ノー、ボーイ』、中山容・訳、晶文社、1979年、143頁

明治維新後、海外への移民の状況はさまざまなんだと思いますが、戦争時にはかなり過酷な状況におかれたようです。米国において日系人たちは自分たちの祖国である日本と戦わなければならない状況におかれました。日本には家族がいます。親戚がいます。肉親を殺さなければならない状況におかれたのです。米国に忠誠を誓い、従軍した方々もたくさんおられます。米国には忠誠を誓わず、兵役に就かなかった人々もおられます。兵役に就かなった人々は刑務所に行くこととなりました。また多くの日系人は収容所に送られました。大変過酷な状況に生きなければならなかったのです。その過酷な状況は、当然のことですがアイデンティティの問題を生み出します。

主人公イチローは兵役を拒否し収監されました。二年の刑を終え自宅に帰ります。戦争が終わった世界にあってイチローのお母さんは、日本が負けたことを信じていません。自分の息子が兵役に就かなかったことを誇りとしています。しかしイチローは複雑でした。イチローの自分探しの旅が始まります。

自分探しの旅の中で叫びます。「かあさん、あなたは誰なのか」。十戒(出エジプト20章)の第5戒に「父と母を敬え」ということばがあります。隣人を愛することのはじめとして両親を愛することを聖書は語っています。両親は一番身近な隣人ということでしょう。そこで父とは、母とは、どういう人なのか、ということは自分自身が生きるために大切な問いです。それがわからないと、あるいは健やかに受け止められていないと、自分自身の人生が難しくなるのです。このイチローのように、無理もないとはいえ虚構の中に生きている母のもとでは、自分が何であるのかがわからなくなり、自分を生きることができなくなるのです。

両親に対する問いとともに、ここにもう一つの問いがあります。「日本人であるとはどういうことなのか」です。私は牧師ですから、すべてのひとがイエスさまを信じて、罪をゆるされ永遠のいのちをいただいていただきたいと願っています。ことらさ同胞である日本のすべての人がキリスト者になってほしいと願っています。

しかしすべての人がキリスト者になるということは、日本中から神社仏閣をなくすことになるのでしょうか。初詣はもう行われなくなり、豆まきもなくなり、ひなまつり、端午の節句、七夕、お彼岸の墓参り、その他あらゆる季節の行事は行われなくなるのでしょうか。いろいろなお祭りは行われなくなるのでしょうか。日本の文化はすべてなくなってしまうのでしょうか。そう考えるとここでも「日本人であるとはどういうことなのか」という問いを持つことになります。

キリスト教会が信仰の行事として行っていることごとの中には、多分に西欧文化の中で生まれたものがあります。

この本のあとがきに、フランク・チンという人の「ジョン・オカダをさがしに あとがきとして」という題の文章が掲載されています。その中に

アジア系アメリカ人は自己憐憫と「アジア系アメリカのアイデンティティ危機」という豪勢な理論のまわりをただウロウロしてきた。それは大量生産的布教活動でわれわれを改宗させようとして以来ずーっとつづいている。文明は宗教を基盤にしていて、一番いいのは、ひとつの神をあがめることだという考えが普及してからずーっとそうだ。キリスト教の宣教師はわれわれが同胞の女に接するのも否定し、キリスト教に改宗したものだけに婚姻を認めた。そうやってわれわれの人口までコントロールした。20年代には自分がだれなのかわからないようなアジア系アメリカ人世代が生まれた。いまだにそのままだ。ジョン・オカダは、この「アイデンティティ」の危機がトータルには現実であり、同時にどうしようもなくインチキだ、ということ、いまでも多くのキ色人間には強烈すぎて読むのがおそろしい、この本で示している」(前掲書、312頁)

戦後の日本の荒廃の中に、千人の宣教師を送るようにとの動きの中で、私たちの団体の宣教師も日本にやってきたといわれます。純粋に霊的な渇望にこたえることを願って宣教師たちはやってこられました。しかし為政者たちはまた別の思いを持っていたことも想像できます。ひとつの神をあがめる人々にすることによって、日本人であることのアイデンティティが失われてしまうとすれば、それは精神的な侵略とも思えてきます。

日本人とは一体何か、日本人としてキリスト者として生きるということはどういうことなのか、をあらためて考えることとなった一冊でした。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: