キリスト教の鐘の音
2017年12月21日(木)私は仏教の鐘とキリスト教の鐘をくらべてみてそう思う。仏教の鐘は中にすぼんでいて外からそれを打つのだ。するとゴーント陰に響く。キリスト教の鐘は外に開いておって、中から打つようにできているが、カーンと陽に響く。キリスト教は外からいじめるのでない。内から喜悦が湧き出るので、陽気な宗教である。
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中より湧きいずる喜悦でなければならない。信仰すればその喜悦を得る。
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しかり、イエス・キリストはふたたびきたりたもう。このところに私どもの喜びがある。苦痛困難にたえしむる力があるのだ。われらはだれにも頼らない。〔中田重治〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
387頁
「たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。」(ピリピ2・17)
喜びがあるかないかが、その行動の真価を分けると、だれかだいわれました。どんなに人のために生きたとしても、自分自身の中に喜びがなければ、あまり意味がないということでしょう。あるいはときには有害でさえあるということでしょう。
きょうも喜びをもって一日を歩みたいと思います。