このお方に対して
2017年12月19日(火)

私たちがそのお方の自由な恵みの上にではなく、私たち自身の純潔、善良、あるいは敬虔の上に建てようと、かたくなに欲する時に、私たちはまさにこのお方を、放棄したのである。
・・・
来たるべき裁きに直面して、偉大な力強い慰めとは、その裁き主が、このように私たちの味方となって下さるお方であり―このようなお方、私たちが信じる―このようなお方を待ち望み、このようなお方を愛することを許されているということである。

〔カール・バルト〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
385頁

「では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8・31)
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(第一ヨハネ4・10)

私たちは「偉大な力強い慰め」をいただいています。ですから今日も心軽やかに生きることができます。
イエスさまを待ち望み、イエスさまを愛して今日も歩みます。


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