未信者のために
2017年12月8日(金)

あなたは自分の愛する者の救いの時と方法を神に指示するように祈りを利用したのです。いっさいを神のみ手にゆだねることを会得するとき、愛する者のために祈るとりなしの祈りはどんなに変ってくることでしょう。私共の祈りは、熱愛している者、また神から離れている間私共がいつも案じている者について、神との間に静かな確信にみちた会話となります。その時あなたは祈りの密室において、すばらしいことを見るでしょう。

〔オー・ハレスビー〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
374頁

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(1ペテロ5・7)

祈っても願い通りの結果が出ないとき、神さまは答えて下さらないと、結論を急いでしまいます。そういうときに、みこころの祈りだったか、それとも自分の一方的な願望であったかと振り返らなければなりません。
その上で、例えば愛する者の救いのようにどう考えてもよいことを願っているのに答えられないという事態も経験します。そういうときにどのように考えればいいのでしょうか。

ハレスビーは、もしそこで平安を失ってしまうような、また確信を失ってしまうような祈りであるならば、それはほんとうの祈りではないと語ります。

私たちの目から見て、良いことも、そうでないかもしれないことも、結局祈りにおいてすべて神さまにおゆだねし、そうして平安をいただくことができるならば、それこそほんとうの祈りなのでしょう。


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