とりなしの祈り
2017年12月4日(月)

私の父の農場のイエルンという小作人は、忠実なとりなしの祈りをする人間でした。
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普通私共はいそいでいて、十把一からげに全部を主のもとに持ってゆき、一つの祈りですべてを祝福してくださいと願うのです。しかし老イエルンはそのようにしなかったのです。彼は頭の中で一軒の家から次の家へと行きながら一人一人の名をあげたのでした。彼はまだ見ない新生児をさえその祈りの腕に支えて、恵みのみ座につれてゆかねがならぬと感じたのです。

〔オー・ハレスビー〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
370頁

「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。」(1テモテ2・1,2)

主イエスさまのご降誕と、主イエスさまの再臨の間に生きる私たちは、この二つの待ち望みに生かされています。十字架と復活による贖いの御業は神さまの完全な救いの業でしたが、なお完全な感性の時として再臨を待ち望んでいます。この間の日々、待ち望む私たちには信仰の戦いがあります。罪との戦いがあります。聖霊さまを送ってくださった主イエスさまは父なる神さまの右にて私たちのためにとりなしていてくださいます。

とりなしていてくださるイエスさまに支えられて、私たちもとりなし手として日々祈りに生きます。


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