日用のかてを
2017年12月3日(日)

キリストは、われわれと同じ地盤に身を置き、われわれ困窮した被造物と共に、「われらの」と語り給う。
・・・
世界の主が「われらの」と語り給う。そのことによって、この地上に貧しいラザロがいる限り、彼は分ち難く救主と結ばれる。またそのことによって、いつどこででも闘争と力の対象である(実際、キリストの外側では、そのようなものであるよりほかはない!)物質的生活が、キリストを信ずる者たちにとって、キリストの十字架の深みへと―その側近くへと、引き寄せられる。「われらの日用の糧を、今日も与え給え。」これはキリスト者の生存のための祈りである。然り、キリストの外側には、生存のための戦いだけしか無いが、キリストの内側には、生存のための祈りがある。

〔リュティ〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
369頁

「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」(マタイ6・11)

戦いと対極にあるのが祈りである、ということでしょう。
主イエスさまがこの祈りをともにしてくださいます。
私たちはすべての人びととこの祈りをともにします。


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