祈りの戦い
2017年12月1日(金)

十字架にかかりたまいしままなる活ける主の聖前は、罪人なる我らにとって、ヘブル書のいわゆる「恵みの座」である。
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しかし十字架の聖前をただ恵みの座とのみ考えてはならない。これは恵みの座であるとともに、我ら罪人にとっては新たなる戦場となるのである。
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主の名において祈るということは、十字架の前に引き出されて、そこに新しき戦場を見出すことである。
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日々の我らの信仰生活も十字架の聖前における祈りの戦いと勝利とにおいて始められるべきである。

〔高倉徳太郎〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
367頁

「モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。」(出エジプト17・11)

十字架の御前に祈ります。そこで赦しをいただき、新しい出発をいただきます。


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