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天職としての病気と貧乏

天職としての病気と貧乏
2017年11月20日(月)

 「おたずねしますが、あなたの場合天職はなんでしょうか」。

 私は笑って答えた、「病気と貧乏とは私が授かった職業であって、寝床は私の受持ちの工場だ。そして主はその全能の力によってこの無智無力の機械である私をこの工場に於て運転し、卑しい土の器に過ぎない私でさえも神の栄光のために特別のお役に立てて下さったのだ。それ故私はこのような境遇の中にあって、なおよく平和と安寧とを保持して、長年の忍耐によってかち得た歓喜の微笑を以て最後の勝利をわが物とし、どんな場合にも主の救いの聖手は及ばないことのない事実をば身を以てこの世に示し、或いは慰め、或いは励まし、或いは同情を与え、或いは悔い改めさせて、それによってわが愛する同胞達を天の父のお膝もとに導くのが私の天職だと信じている。ただ私が弱いためにこの天職に処する道を誤って任務を全うすることが出来ないようなことはあるまいかと懸念して、私は実に戦々兢々としているのである」と。

〔徳永規矩〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
354頁

「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(第2コリント12・9,10)

著者の徳永規矩は明治期に熊本で英語教育に従事した人で、1861年に生まれ1903年に死去していますので、42歳の生涯を歩んだ人でした。1888年に結核を発病ということですから、27歳の時でしょうか。そうすると発病後15年を闘病して死去したこととなります。まさに病気の生涯ということでしょうか。
この本『愛と自由のことば』によると徳永規矩は「とくながきく」と読んでします。しかしインターネット上では「とくながもとのり」あるいは「とくながのりかね」となっています。いずれが本当なのでしょうか。このこの場の原点となっているのは徳永規矩著『逆境の恩寵』ですが、2015年に徳永規矩の孫の当たる徳永徹の著として『逆境の恩寵』が出版されていますので、こちらの方が手に入りやすいようです。

さて、前述の引用の言葉は弱さの中にある私たちにとって力強い慰めの言葉ですね。困難な状況の中にあってそれを呪って生きる人もいますが、それを天職として受け止め、なお人々のために、神さまのために生きる道を選択しているこの徳永規矩の生き方には敬服します。そのような生き方を与えた主イエスさまの素晴らしさを思います。


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