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絶対者への信仰と信仰の相対性

絶対者への信仰と信仰の相対性
2017年11月18日(土)

もしわれわれがキリストにおける神(God-in-Christ)の絶対的な真実への信仰をもたないならば、自己の信仰の相対性を識別することは疑いもなく困難であろう。あの信仰は弱いものであるゆえに、われわれは常に自分たちの個人的あるいは社会的な信仰を絶対的なものにしようと努力するであろう。

〔リチャード・二ーバー〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
352頁

「私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に。』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。」(使徒17・23)

 いわゆる宗教としてのキリスト教における「神」の雰囲気をもっていない「神」にたいしてパウロは「あなたがたが知らずに拝んでいるもの」といいました。つまり人間がその宗教心によって礼拝しようとしているものの正体として聖書を通して明らかにされた「神」、イエスさまにおいて完全にあらわされた「神」がおられるというのです。他宗教や他信仰に対して教会がどのように宣教していくのかといったことへの指針がここにあるように思います。いたずらな対決や他宗教、多文化の否定ではなく、他宗教、多文化への深い理解の中に語られる宣教の言葉、そして説教の言葉がここにあります。
 そのためには「キリストにおける神の絶対的な真実への信仰」を持たなければなりません。


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