首尾一貫
2017年11月5日(日)

聖潔の道がキリスト者の完全性へつらなるということは、この完全性そのものが実に神の約束とその誠実を映すための観念だからと考えうる。
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開始から完成にいたる道程を保護し、それを可能ならしめる者は、神である。神を信じ、その約束に頼るとき、完全への道は人間に固有な性質ではなく、どこまでも神の自由な恩寵のたまものとして捉えなければならない。
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だから私たちの首尾一貫はキリストによる神信仰によって決められる。・・・それゆえキリスト者はやたらにこの世情の転換におどろかされないで、一歩一歩の調子をみだすことなく、一度はじめられた出発を究極まではこんでいく。希望と忍耐と勇気とが、そこでつぎつぎとうまれてくる。一足飛びにはいかないでも、一歩ずつ踏みしめるのである。

〔熊野義孝〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
339頁

「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」(ピリピ1・6)
「だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」(マタイ5・48)

 神さまの恵みによって救われ、さらに神さまの恵みによってきよめられます。


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