聖なるものの恐怖
2017年10月31日(火)

その日(ルターの最初のミサ誦読)は、修道院の鐘のひびきと、「あたらしき歌をエホバにむかいてうたい」の詩篇の歌とで始まった。ルターは聖壇の前に行って、ミサの序の部分を朗読し始めたが、ついに、こういう言葉のところに来た。「われらは、生ける、まことの、永遠のおん神に、ささげたてまつる。」彼はあとになって、つぎのように語っている。「この言葉で、私は全く茫然として、恐ろしさにふるえわなないた。・・・
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聖なるものの恐怖、無限なるものに対する恐れが、彼を新たな電光のように打ったのだった。
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ルターの経験は、古代人をはるかに越えていたし、自分の工夫した手段によって、星図にも載っていない星雲を見上げながら、なさけない小ささの意識であとすざりをする現代人に、それほど理解し難いものであってはならないのである。

〔R・H・ベイントン〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
331頁

「尊厳と威光は御前にあり、力と光栄は主の聖所にある。」(詩篇96・6)

 人格的な神さまとのお出会いを通して、神さまの御稜威を知ります。


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