ある日記抄
2017年10月23日(月)わたしたちは理論的に自殺について語りあった。そして次の点で一致した。自殺は神への信頼を投げ捨て、反抗することを意味する。それは人を殺すよりも重い罪だ。自分の生命の将来にわたって神に余地を与えないことだからだ。
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だが自殺はそれ以外のいかなる罪とも異なった罪ではない。自殺といえども、わたしたちを神から離せないのだ。
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このいまわの時わたしたちの上には祝福を与えるキリストのお姿がある。キリストがわたしたちのために戦っていてくださる。そのまなざしの中でわたしたちの生は今終わるのだ。〔ヨーヘン・クレッパー〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
323頁
「すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、『子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。』と言われた。」(マタイ9・2)
自殺。自らを殺すと書きます。最近では自死ということも多いようです。自ら死を選ばざるを得なかった方々への温かい思いをあらわそうとしているのだと思います。
極限状態の中で、それを他人が判断することはできません。
私たちはひたすら主の赦しの言葉を語るのみです。