不可能をあえて
2017年10月14日(土)

現在の世界情勢は、世界的見地からみて、不可能なことをあえてすることを必要としています。キリスト者の立場からみると、可能なことをするより、不可能なことを手がけ、成就することが、より易しいと、わたしはますます思うようになってきました。そのひとつの理由は、不可能なことは、われわれの想像力をかきたてるからです。
・・・
不可能なことを本気でしようと試みることによって、わたしたちは、必然的に、神をより深く理解することができます。

〔ジョン・R・モット〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
314頁

「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1・37)

 経験によってそれが可能かどうかを判断する力を私たちは持っています。それは大切なことです。経験的に飛び越えられない程の川を飛び越えようとすることは、無謀であり、もし神さまを信じて何の考えもなく走り出したとすれば、それは迷信ではないかと思います。
 もしそこに愛の動機があり、しかも無謀ではない道を歩もうとすれば、実現可能な道を模索するでしょう。想像力を働かせるでしょう。さまざまな努力もするでしょう。そして何よりも神さまに祈るでしょう。そして神さまがどのようなお方であるのかを、さらに深く知ろうとするでしょう。
 想像力を働かせずただ無謀な道を歩もうとすることは迷信であり、神さまへの信仰とは対極にあると言わなければなりません。私たちは祈りをもって、神さまに信頼する道を選択します。


投稿者:

タグ: