決定的瞬間
2017年10月11日(水)

「あなたは、じぶんのために偉大なことを求めているのではないですか? それは止めなさい。先ず神の国を求めなさい。」 これらのことばは、わたしの心をつきさし、わたしの生涯の動機を決定する源になった。わたしは自分の部屋に帰り、勉強に手がつかず、ただ、自分の心と闘った。・・・キリストを主とあがめて、身を捧げることが、つづいてなされた。・・・机の上に書きものをひろげたまま、色のあせたカーペットにひざまづいて祈った日を、わたしは決して忘れることができない。知的な誠実さをもって、聖トマスのように、「我が主、我が神」とキリストにわたしは語りかけることができたのである。

〔ジョン・R・モット〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
311頁

「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。」(ピリピ3・8)

 1946年のノーベル平和賞受賞者で、大正期に日本の宣教に大きく貢献されたジョン・R・モットのことば。継ぐはずであった繁栄しているお父さんの事業を他者に譲り宣教のために主に従っていきました。
 人生の道が大きく転換される、そんな決定的瞬間を人はみな経験しているのではないでしょうか。神さまは生きて働いておられ、ご自身の御国の前進のために人を用いようとされます。神さまは全能のお方ですから、人の力などほんとうは全く必要ないのです。しかしその神さまが人の力が必要であるとしてくださり用いてくださるのです。どんなに小さく見える存在であったとしても、神さまが用いてくださる人生は輝いています。全能である神さまが用いてくださるのですから、私たちはできるだけ用いられやすいように、神さまの邪魔をすることなく、柔軟に自由にゆだねていなければなりません。こだわりや思いこみ、自己主張などは一切捨て去らなければなりません。


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