掘り出す
2017年9月30日(土)

われわれは、お互いを、毎日いわば掘り出さなければならない。友人たち、隣人たちを、毎日新しく埋めるのではなくて、新しく掘り出さなくてはならない。
・・・
人間は、主を、どのように苦しめ虐待し迫害してきたことであろう。しかも、主は、自分を苦しめる者たちを見捨てず、むしろ彼らを掘り出し給うた。彼は、われわれのもとに何ものも見出し給わなかった。神の御前で輝き得るようなけしつぶほどの金も、見出し給わなかった。しかも、主は、われわれを掘り出し、鉱坑の中にみじめなありさまで朽ちしめ給わなかった。悪を善に変え、恥からほまれを掘り起こし給うた。主の御業だけが、われわれの存在であり、われわれの所有である。

〔リュティ〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
298頁

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5・8)

隣人を愛することも難しさを思います。しかしだれよりも愛することの難しい存在である私自身を神さまは愛してくださいました。その愛にお出会いした時から、隣人への愛に生きる道が開かれました。未だ道半ばです。完成の時は、この地上ではないでしょう。しかし隣人への愛に招かれている人生は何と尊いことでしょう。


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