天の猟犬
2017年9月26日(火)

夜はいく夜(よ)、昼はいく日(ひ)か、われ神を避けて逃げたり。
いく年の門(かど)をも過(よぎ)り、われ神を避けて逃げたり。
・・・
されどその追うや急がず、
その歩みは乱れず、
落ちつきて早く、威儀ありて迫りつつ、
御足の音す―されど御足よりも
いや切(しき)りなる声ぞ聞ゆる―
「われを欺く汝を、皆あざむく」と。

〔フランシス・トムソン〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
294頁

「神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。『あなたは、どこにいるのか。』」(創世記3・9)

神さまは、罪びとである私たちを、追いかけてくださいます。けっして急ぐことなく追いかけてくださいます。また早く。しかし落ち着いて。威儀をもって迫ってくださいます。その御足の音を私たちは聞いています。
しかしそれよりも私の心に響いているのは、神さまを欺いている私のことを、この世界は、また隣人は欺くのだ、との声です。
神さまとの関係が偽りであれば、神さまの被造物であるこの世界との関係も偽りとなっています。神さまとの関係がまっすぐにされるならば、この世界との関係もまっすぐなものとなります。健やかな生は、神さまとの関係がいかにあるかにかかっています。


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