ある友人の死
2017年9月22日(木)

そして彼は、死んだ。
・・・
そこには、ある言いがたい超越的なものの暴虐の跡が歴然としていて、僕は何者かへの極度の憤懣を感ずるのだった。
・・・
愛とはいかなる不可能もそこに於て可能となるが故に愛なのであり、そしてかかるものとしての能力であるからだ、全く愛は全的な自由なのだ。

〔椎名麟三〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
290頁

「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1・37)
「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」(第1ヨハネ4・16)

愛する者の死に出会い、死の暴虐、死に対する憤懣を感じます。しかしそこで自分の死者への愛の不真実を発見します。もし真実の愛ならば、キリストのように死に打ち勝つことができるはずだったと。死の暴虐、死に対する憤懣を感じ、復活が絵空事のように思えるとするならば、その死者への愛は、ほんとうの愛ではないのです。
ほんとうの愛はキリストだけがお持ちです。キリストは十字架の後、復活されました。キリストは主にある者に復活への希望を与えておられます。私の愛は不真実ですが、キリストの愛が真実なので、キリストを信じる者は、復活の希望に生きることが出来るのです。


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