死の偶像化
2017年9月20日(水)死の力が破られていることが認められており、復活と新しい生命の奇跡が、死の世界のただ中で光り輝いているところでは、人は生命から永遠性を要求せず、それが与えるものを生命から受け取る。すなわち、すべてか、あるいは無かというのでなく、善いものと悪いもの、重要なものと重要でないもの、喜びと悲しみとを受け取る。そこでは人は、発作的に生命にしがみついたり、また、軽率に生命を投げ捨てたりはしない。そこでは人は、適当な時間に満足し、地上の物に永遠の名を与えたりはしない。人は、死がなお所有している限られた権利を、死に与える。新しい人間と新しい世界を、人はただ死の彼方から、すなわち、死に打ち勝った力からのみ期待する。復活し給うたキリストは、新しい人間性を御自身に負い給う。それは新しい人間に対する神の究極の主権的な「然り」である。
〔ボンヘッファー〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
288頁
「それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現われによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。」(第2テモテ1・10)
現代社会はますます死を偶像化しています。しかしキリストは復活によって死の持つ力を滅ぼしてくださいました。死を偶像化しないので、この地上の生命をも偶像化することから自由にされています。地上の生命から永遠性を要求しません。いたずらに生命にしがみついたり、逆に軽率に捨て去ったりすることから自由にされています。