失明の歌
2017年9月14日(木)神の求めたもうは、人の業にあらず、おん賜(たまもの)にもあらず、
やさしきおん軛(くびき)をいとよく忍ぶ者こそいとよく仕うるなれ。
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ただ立って待つ者も亦(また)つかえまつるなり。〔ジョン・ミルトン〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
282頁
「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5・3~5)
神さまはそれぞれに十字架を与えておられます。その十字架を忍ぶことが神さまにお仕えすることです。その十字架の重たさは誰かと比べるものではありません。自分だけに与えられたものです。
自分に与えられた十字架をほおっておいて、自分にとって魅力的な、しかし自分の十字架でないものを負っても、神さまにお仕えすることになりません。
人と比べてどんなに小さなものであったとしても、忍耐をもってその十字架を負いましょう。そうして主にお仕えしましょう。