逆境の祈り
2017年9月11日(月)

私は長年名誉と利益のとりことなって、父なる神の慈愛を忘れ、主キリストの恩義を無視し、世俗の事をのみ思いわずらい、自分の功名手柄ばかりを欲しがり、何の役にもたたないうすっぺらな虚栄に心を奪われ、つまらない名誉と信用とを失うまいと、そればかりを気にかけ、心の中は不平と高慢でいっぱいにしながら、ただただ世俗間の空(むな)しき野心を遂げようとしたけれど、今はもはや死のほかには何一つ得るものはない。たとい、全世界を自分のものとすることが出来たとしても、いのちを失ったらそれが何の役に立とう。

〔徳永規矩〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
279頁

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。 」(マルコ8・34~36)

名誉、利益、功名、手柄、虚栄・・・。この世はそういったものばかりを追い求めるように私たちに仕向けます。しかしそこで永遠のもので得るものは何もありません。みなこの世のものばかりです。それでいて心の中は不平と高慢でいっぱいなのです。
主の慈愛と恩義を心に、今日も神さまにゆだねつつ一日を過ごします。


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