余の愛する秋の花
2017年9月2日(土)

紫龍膽(むらさきりんどう)! 彼が余の愛する秋の花である・・・謙遜にして柔和なる春の花なるおだまきに対する堅忍不抜なる希望を伝うる秋の花なる紫龍膽である、この雌雄ありて人生は悲哀ばかりではない、我らは彼らを友として喜びながらこの涙の谷をとおることができる。

〔内村鑑三〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
270頁

「彼らに主の名をほめたたえさせよ。主が命じて、彼らが造られた」(詩篇148・5)
「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです」(ローマ1・20)
「また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。『御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。』」(黙示録5・13)

秋の花リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」だそうです。
内村鑑三が花を見て米国の詩人ブライアントの詩を詠み、思い巡らし、慰めを得ています。神さまを信じる者は、この自然の中に、神さまのお造りになられた被造物の中に慰めを発見します。力を得ます。
礼拝堂に花が飾られます。それは礼拝堂を飾り整えるということの意味も大きいのですが、それ以上に同じ造られたものである花と共に神さまを礼拝するという意味があります。人間だけではなく造られたものがともに神さまを賛美し礼拝するのです。


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