約束の成就
2017年8月29日(火)

死のとばりを通して私の民が、
大いなるうたげに行くさまを見させ給え。
神よ、私はあなたの永遠へと身を沈めながら、
私の民が自由の中に歩み入るのを見る。
罪を罰し、喜んでこれを赦し給う神よ。
私はこの民を愛した。
この民の恥と重荷とを負い、
その救いを見たことにまさる喜びはない。

〔ボンヘッファー〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
263頁

「モーセはモアブの草原からネボ山、エリコに向かい合わせのピスガの頂に登った」(申命記34・1)
「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです」(ヘブル11・13)

「約束のものを手に入れることはありませんでした」が「それを見て喜び迎え」たとヘブル書は語ります。約束のものを手に入れるかどうかは問題ではなく、「地上では旅人であり寄留者であることを告白する」ことが大切な問題なのです。約束のものを手に入れてしまって、寄留者であることを忘れてしまったとき、人は信仰の道を踏み外してしまいます。
地上で確かな歩みをするために「はるかにそれを見て喜び迎え」ていることが大切です。


投稿者:

タグ: