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神たらんとする国家

神たらんとする国家
2017年8月24日(木)

政府に対する服従ということに関して、キリスト者には一つの―ただ一つの制限が与えられている。・・・このただ一つの制限とは、神である。このような一つの制限があるゆえに、キリスト者は、悪い国民だという疑いを、かけられなければならないときが、これまで繰り返しあった。・・・神御自身によって与えられた制限を、国家が越える場合には、その国家に反抗し、国家に対して「人に従わんよりは神に従うべきなり」と語ることが・・・良心の事柄となり、キリスト者の義務となり得るのである。

〔リュティ〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
258頁

「するとイエスは言われた。『カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。』彼らはイエスに驚嘆した。 」(マルコ12・17)

「ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。」(使徒5.29)

国家が国民主権を忘れ自らの分をわきまえず神になろとするとき、キリスト者はそのような国家に対して反抗することになります。


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