徹底的に敗れて
2017年8月15日(火)それ故に、この戦争後の凡(あら)ゆる文化的、思想的団体の再出発は、啻(ただ)に戦争前の自由主義時代にあったような、所謂昔日の俤(おもかげ)を取り返す事にあるのではないのであって、この戦争、この苦痛を通して一段と深められた理解、否、此の様な事ががなければそこまでは気付かなかったかも知れない、その様な徹底的な考え方の基礎の上に、戦争前にはなかった様な一段高い一層徹底した歩みが確認せらるべきなのであります。
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教会の再出発についても全く同様であります。私達は所謂宗教的慰安を人々に与えんとするに急なる余り、唯戦争の苦しみが忘れられる方に、さながらあの戦争が無かったかの様な方向に人々を連れて行く事は出来ないのであります。・・・一体、此の様な悲惨、此の様な誤謬、此の様な浪費、此の様な悲劇、此の地上にある何物が、かかることを、かつてなしたでありましょうか。・・・私共は測り知るべからざる深淵を内に含んだ者としての人間に気付きました。・・・この深淵を内に含んだままで、唯、外に表わされるその人間が為す「文化的努力」「政治的努力」等は再び戦争に於て、或は平時に於ても、種々なる形に於て噴火し、それが私共の生活を破壊し、死にまで突き落とすこと、その危険を何等防ぎ得るものではありません。之こそ教会が此の世に於て当面し、そこを是非とも突破し、乗り越えなければならない、人間を取り囲む万里の長城であります。古来、真実なる教会はこの事に主力を注いで来たのであります。〔鈴木正久〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
249頁
「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。 」 (エペソ6・12,13)
私達が戦うべき「敵」は私たちのうちに巣くう「測り知るべからざる深淵」、すなわち「罪」そのものです。この敵から目を離すこととなる仮想敵は真の敵ではありません。