獄中の預言者
2017年8月12日(土)

たとえば復活の日曜日に、われわれは突如力強い言葉を聞いた。「主は言われます。わたしは復活であり、生命である!」この圧倒的な意志の示す勇気と力とに心の奥までゆり動かされて、捕われた人々の長い列は立ちつくしていた。それはまるで、よそなる世界から警告の声が呼びかけたようでもあり、ヘロデのひとやから聞こえる洗礼者ヨハネの声、あの荒野で呼ばわる者の力ある預言者としての声を聞いたかのごとくにもわれわれには思われた。シュナイダーはいくらも語れなかった。看守のこん棒がたちまちふりおろされ、あるいは鉄拳が彼の弱り果てた体を独房のすみへころがした。だが、野蛮な暴力も、彼のこの堅固な意志、不屈の頑健さには勝てなかった。恐怖を抱いている収容所長に面と向かって、恐ろしい非難の言葉を浴びせたことも一度ならずあった。「あなたは大量殺りく者ですぞ! わたしはあなたを神の審きのみ座の前で告発します! この囚人たちを殺す罪をゆるしませんぞ!」そして彼は最近の数週間に生命を捨てなければならなかった犠牲者たちの名を数えあげるのであった。

〔レオンハルト・シュタインヴェンダー〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
246頁

「しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。『まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。 」 (マタイ3・7,8)

「実は、このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕えて縛り、牢に入れたのであった。 それは、ヨハネが彼に、「あなたが彼女をめとるのは不法です。」と言い張ったからである。 」(マタイ14・3,4)

キリスト者は、みな神さまの預言者です。預言者の声は「よそなる世界からの警告の声」です。この世からの言葉を語るのではありません。この世からの言葉ではなく、よそなる世界からの言葉には、人を慰め励まし立ち上がらせる力があります。ナチ収容所に響いた看守の罵声はその場限りの言葉でしたが、シュナイダー牧師の言葉は、時を越えて主にある者たちの胸に響いています。


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